2014年5月30日金曜日

見た映画の感想を: ホテル・ルワンダ



1994年、ルワンダで起きたルワンダ虐殺によって難民になった1200人以上の人々を自らが働いていたホテルに匿い救ったホテルマン、ポール・ルセサバギナの実話を基にした作品。
ルワンダ虐殺はルワンダの多数派のフツ族と少数派のツチ族間の内戦が終結頃に起きた大虐殺。内戦の和平協定成立後に起きた何者かによるフツ族の大統領が暗殺されたことをきっかけに大虐殺が実行された。
主人公ポールはルワンダトップクラスのホテルの支配人。彼はフツ族だが妻はツチ族でフツ・パワーというイデオロギーを唱えるフツ過激派に対しては陰で愚か者だと言うなど穏健派の立場である。過激派には嫌悪の感情を抱きながらも献上品を持参の上で商売するなどフツ過激派側の要人にもコネクションを保ちながら政府軍人などにも献上品を与えるなどして多方面にコネクションを持つ。
大虐殺勃発前の物語冒頭からフツ・パワーを唱える人々が活発な様子が描かれ、不穏な空気を醸し出しており、ツチ族の部下や義兄夫婦は不安を訴え、ポールもどこか不安を覚えるが和平協定の成立が間近という情報や国連軍が常駐している点(ポールのホテルにもいる)、世界中のマスコミがいる点などから楽観視している(もしくは楽観視するようにしている、したいといった様子が伺える)
しかし大虐殺は”高い木を切れ”という過激派の合言葉とともに開始される。
ポールは当初、家族のみを守ることだけを考え行動していたが、しだいに難民たちも守る決意を決めホテルに匿っていく。
ポールは国際社会の救援やマスコミに期待をしていた(というか絶対に助けにくるだろうと思っていたと思う)が助けは全くないことが次第にわかってくる。
そんな中でこれまで築いてきたコネクションや賄賂などを巧みに使って時間を稼いでいったが状況はどんどん厳しくなっていくがいかに・・・。


という映画を見ました

以下細かいネタバレ含みます。








 まずこの作品は映画としての出来がすばらしいと思った点について。
 上にゴチャゴチャ書いたルワンダ虐殺における勃発前の様子やフツ族とツチ族について、主人公の性格や交友関係、ホテルの従業員,フツ過激派,政府軍人,外国のマスコミたちがどういった人物、立場なのかを序盤の15分程度で完璧に描かれています

 なので何の知識なく見ても問題ないです。
(しいて言えば、虐殺発生後の政府軍の立場については整理しておくとよい。虐殺を表立っておこなっているのは、フツ過激派民兵で政府軍は治安維持にあたっているという立場をとっていると思われる(未調べなので確かではないが)。まぁ難民相手に見返り(賄賂)を要求しながらの治安維持なので政府軍も虐殺に加担してはいますが)

 また残酷描写の直接的な表現は抑えながら(あくまで主観だけどね。。死体はものすごく出てくるから。。。でもいわゆる強姦シーンを流すとか(ルワンダ虐殺においてツチ族女性に対する強姦はひとつの要素になっていたほど多発していたらしい)ナタによる殺害(ルワンダ虐殺ではナタが主に使用された。理由は安いし、手入れも楽で、ナタ一つでたくさん人を殺せるから)シーンをまじまじと見せることはない(遠目からその様子がわかるシーンはたくさんあるが、血がブシャーとかはない。))、虐殺の悲惨さや緊迫感はすごいものがあります。

つまり映像の暴力的な威力を利用しないで役者の演技やシチュエーションによって虐殺の悲惨さや緊迫感、各々の心理状態が表現されていてすばらしかった。私は見たあと体調を悪くしました。(調べると分かるがルワンダ虐殺における人の殺し方は文章で読んでも戦慄する凄まじさで、映像化する場合このインパクトのある”ネタ”を使っても不自然ではないが、たぶんインパクトありすぎてノイズになって主題がぶれるしメッセージが伝わりづらくなるリスクもでるので控えたのだろうと予想。そのような選択もすばらしいと思う。)


では感想をつらつらと。。。

見たあとに体調悪くなったっていことは、心にくるものがあったわけですね。
先ほども書いたとおり体調を悪くするようなグロ描写があったわけでもなく、ものすごく悲惨なシナリオ(題材自体は最大級に悲惨ですよ、もちろん)があったわけでもありません。

見終わってから、いろいろ想像しました。

まず、もし実際にこのような虐殺が日本で、身の回りで起きたら私はどうするのかを想像したことで体調が悪くなりました。

この映画を見て、いわゆるアフリカ特有のことで日本とは違う世界で起きたという捉え方をするのは間違いです。

ルワンダ虐殺は明確なシンボル(フツ族とツチ族)を基に明確な敵、目標を作りメディアプロパガンダなどを利用して作られた恐怖と大きな勢いによって生じました。

ようするに歴史的にどの国でも起きてきた、起きている虐殺と同じで、どの国でも起こりうることであるってことです。
日本で虐殺。。考えづらいですか?歴史認識的にも結構アンタッチャブルな感じありますよね。

映画見た後いろいろ考えたうちの一つをあげてみます。

 東日本大震災の後、被災地で火事場泥棒が頻発しています。実際に起きていますね。
 ↓
 ある日、被災地で火事場泥棒が逮捕されたとします。
 ↓
 その泥棒は外国籍だったとします。(特定の国籍を想像した?した人の中にはフツ族(なんらかの自分のシンボル)があってツチ族(なんらかの特定の敵、もしくは恐怖)を持っているんだろう)
 ↓
 報道によりそのことが報じられたとします。
 ↓
 どこからか特定の外国籍の組織が被災地でメチャクチャしているらしいという情報(悪意のある 嘘、または誤報とします)が出てきたとします。
 ↓
 という想像をしたです。考えすぎかしら、妄想野郎かな。この先の想像は自由に

虐殺行為が身近で起きたら私はどのような行動をするのでしょうか。
 もしフツ族的な側の立場だったら私は過激派になるのか・・・、ツチ族的な側をかばい凄惨な殺され方をするのだろうか・・・、隣人がツチ族的な側だったら・・・、親、友達がそうだったら・・・、はたまたツチ族的な側だったらどうするのだろうか・・・、誰かを頼ろうとするのか・・・、武器を持って戦うのだろうか・・・、自殺するのだろうか・・・・などなどを考えました。。映画の中のどの立場になってもおかしくないのです。自らが望むような立場は選べません。

私は気分が悪くなりました。


次にもし私があの時あの場にいたらという想像です。

私があの場にいた場合の立場は外国籍の旅行者でしょうかね。赤十字で難民を一所懸命助けているという立場は正直考えづらいですね。

外国籍の旅行者。映画の中でこれにあたる人々はでてきます。なにしろホテルが舞台ですから。

その人たちはどうなるかというと、物語の半ばくらいで助けが来てホテルをルワンダを脱出します。
外国籍の旅行者には欧州各国が組織した軍の助けがきます。難民にはきません。置いていきます。まずここがかなり辛いシーンですね。欧州の軍がホテルに到着したときの難民の人々の歓喜からの失望がエグいシーンです。

さらに辛くなるシーンがあります。

助けがきた外国籍の人たちはみなホテルを出て行きます。その際の様子はかなり複雑な様子で、おそらく安堵やうれしい気持ちがあるはずだが、それ以上に残される人たちに対して申し訳なさそうな表情で出て行くのです。

出て行く中の一人でホアキン・フェニックスが演じるカメラマン(この外国人救出で脱出するのは旅行者だけではなく、欧州のマスコミなども脱出する)は脱出のバスに乗り込む際に、はっきりと「恥ずかしい」と言います。

脱出のバスに乗り込んだ外国人たちと残された難民たちはお互いを見合います。メチャクチャ残酷なシーンです。お互いがお互いの気持ちを汲んでいるので、何も言わない、何も言えないという。。。個人的にトラウマシーンですね。

 このシーンを最初に見たときは主人公側に感情移入(つまり残される側)していながら見ているので、わざわざ申し訳なさそうにすんなっ!とか白人どもがっ!とか思ったのですが、見終わってから、はて・・まてよ・・・もし私があの時あの場にいたらとすると・・俺外国人だからバスに乗れるな・・・俺はバスに乗り込んでいるよな・・・その時どんな気持ちでどんな振る舞いをするだろうか・・・と考え始めました。
 こう考えると私がそそくさといってしまう人たちを責めることなどできない、しかし主人公側の視点も見ているから・・・という感情の歪が起きましたね。とても気分が悪くなりました。

 先ほど書いたホアキン・フェニックスが演じるカメラマンは物語の中で、外国人にとってこの虐殺がどういうものなのかを的確に理解している様子が描かれています。
 ゆえに彼は何かしてやりたいけどできない現実、ということに対する罪の意識のようなもの覗かせる様子が描かれます。
 しかしそんな思慮深い彼でも夜にはお酒を飲んで現地の黒人女性といちゃついたりするなどの様子も描かれます。つまりこれは現地にいて取材をして悲惨な現状を知っても帰る場所のある外国人にとっては他人事であったということです。(もちろん中にはそうでない人もいます。映画の中でも命をかけて活動する外国人たちもいます。でも当然少数派です。)
 *難民の人たちもリラックスするシーンはところどころあるので↑は深読みかもしれないとも思いましたが、難民と外国人が紛争のさなかでリラックスするというのはやはり意味合いが違うとも感じます。

先ほど上でアフリカ特有のことではない、日本だって。。というようなことを書きましたね。
しかしそれは実際に自分の国で起きてから。。起きるかも。。。ということで、あくまで外国で起きているうちは他人事にしか捉えられない自分に気がついてしまったのです

私はこの映画を見て、とても心にきました。しかし、じゃあ今から世界の紛争地帯に行って何かためになることを・・なんて思わないし、絶対嫌だ
例えば、もし日本に表立った軍隊があって、アフリカのなじみのない国の人々を助けるために絶対何人か犠牲者を出すところに日本の軍人を派遣します!みたいなことになっても、正直うーーんって感じになると思います。(この映画を見る前だったらはっきりとNOと思っていただろう・・)

 ホアキン・フェニックスが演じるカメラマンは脱出の際、夜にいちゃついていた現地の黒人女性に「私も一緒に連れて行って!」と泣きながら懇願されます。彼は辛そうに、しかしどうしようもなく、お金を取り出し「受け取ってくれ」と言い、女性は泣きながら「いらない!いらない!連れて行って!ここにいたら殺される!」と叫びました。
 募金でもしてごまかそうとする自分に釘を刺されたようなシーンでした。(もちろん募金などの慈善事業は立派なことで必要なものですよ。)

最後に辛くなったのは終わり方ですね。終わり方というとシナリオがということではなく、史実でもそうであるようにルワンダ愛国戦線という側がフツ過激派を制圧することで終結し、ポールたちも助かりました。
主人公のポールは暴力ではなく機転を利かし勇気ある行動で1200人以上の人々を救ったが、結局はルワンダ愛国戦線という側がフツ過激派を制圧しなくてはそうもいかなかったということで、つまりいったん片一方が人を殺すほどの勢いを持ってしまったら、殺し返さないと解決しないという厳しい現実を突きつけられました。(あとルワンダ愛国戦線は、フツ過激派の虐殺行為に対抗するために組織されたわけではなく、ルワンダ紛争のときから存在する勢力で決して正義の味方とかではない。)

というようにとても辛い映画だーーーというように書きましたが、これはあくまで私の感想です。
この映画は先述したとおり映画としてすばらしい完成度なので何も考えないで主人公たちを応援する、ある種のサバイバル物として見ても楽しめます?かな・・どうなんでしょうか・・?とりあえず主人公たちはハッピーエンド?で終わりますので・・・

とにかくこの映画を見れば虐殺時は国際社会から無視されたルワンダって国があってなにがおきたのかを強烈に刻まれます。それが製作者たちの意図であると私は思っています。



見た映画の感想を「ホテル・ルワンダ」 おしまい